声を合わせることの高尚さ
最近、クワイアの先生から、
「歌うことで、一番簡単なのは一人で歌うこと。次にカラオケで一人で歌うこと。次に伴奏者に合わせて一人で歌うこと。一番難しいのは、合唱です。」
と、うかがいました。目から鱗でした。
もともと、人間は、自己中心的な存在。合わせる、というのは至難の業です。合わせるには、知性と理性が必要です。もちろん思いやりも。
高校のときの担任のW先生は、合唱コンクールで私たちのクラスの合唱がすばらしい演奏で、2年生ながら5位に入ったのを喜び、褒めてくださいました。練習でも運動部の男子も協力し、女子も男子の練習を手伝い、一致して盛り上がっていました。
W先生は、その様子を見守り、最後に褒めてくださったのですが、そのとき、涙ぐまれて、
「合唱というのは神から与えられた人類の知性の結集で、人間にしかできない最も高尚な芸術だと思います。」というような内容のことをおっしゃいました。
その時は、「あらあら、先生泣いちゃった。。。」とびっくりしただけで、深く考えていませんでしたが、その言葉は心に残りました。
それから、はや20年超の時を経て、やっとわかりました。
生物の中で最も知性が高く、理性も与えられて、他の生物をケアする責任さえも与えられた人類。その知性理性を使って、高尚なことを求めて続けて行くのはすてきなことで、人間として生を受けたことを感謝して楽しみ、その能力を活用することなのだな、と。
日本人は「和」「輪」で、合わせる努力としつけをされてきた国民。立派なすてきな、人間としての知性の高い国民です。
幼稚園、小学校、あるいはその前からも、合わせるお勉強を教え込まれます。そして、一番反抗期の中高生のときに、全国でクラス対抗の校内合唱コンクールが開催されます。一番合わせたくないときに合唱が用いられています。
日本の音楽教育が、音楽の学びを超えて、情操教育に貢献しているすばらしさ!合わないところから、だんだん合うようになり、心も通うようになり、美しい響きに感動し、聞き手の感動に励まされ、一緒に達成感を味わえる、作り上げるまでの大変だった思い出も共通の笑い話に。
歴代の日本の音楽の先生たち、ありがとうございます!
W先生、お元気ですか。ご指導ありがとうございました。コルベ神父のお話も心に残りました。友のために命を捨てる信仰。W先生の教えは私がクリスチャンになるきっかけのひとつです。お会いして、ゆっくりお話うかがいたいです。
大人になってもぜひ、合唱の醍醐味をともに!それには、教会のクワイアいかがでしょう??^^
最近口ずさむ合唱曲「ひとつの朝」。これは男性の声が支えなのですよね。
「ひとつの朝」
今 目の前に ひとつの朝
まぶしい光のこうずいに世界が しずまないうちに
さあ はこぶねに乗って 旅立とう
あのノア達のように 旅立とう
たとえば 涙に 別れること
たとえば 勇気と 知り合うこと
たとえば 愛を 語ること
時には 孤独と 向き合うこと
旅立ちは 旅立ちは 旅立ちは いくつもの出会い
今 目の前に ひとつの海
逆巻くどとうのこうずいに
船が くだけないうちに
さあ 両腕をつばさに 飛び立とう
あの鳥達のように 飛び立とう
はばたけ 明日へ まだ見ぬ 大地へ
新しい大地へ まだ見ぬ 新しい大地へ
生きる喜びを 生きる喜びを
広がる 自由を求めて
広がる 自由を求めて
↑Are they flying??